うみつなぎ

しぜん

不知火海の懐に抱かれた津奈木のまち。
うつくしいしぜんは、人びとののびやかな感性を育んでいます。

「 不知火海の魚たち 」

山から海へ、ゆたかな恵みが循環する
すこやかな里海文化に育まれた不知火海。
ここには多くの生きものたちが暮らしています。
タチウオ、アジ、タイ、イワシにシラス。
天然の養殖場と謳(うた)われるほど
おだやかな不知火海は、
魚たちをふっくらまんまると育みます。
生きものたちをはぐくむ里海は いのちの水辺。
不知火海に棲みついた魚たちのことを
漁師さんたちは “居(い)つきの魚”と呼び
暮らしの糧として大切にしています。

不知火しらぬい

ひとつ、ふたつ。
夜の暗闇につつまれた不知火海にゆらめく光。
それは夜ふけとともに次第に数を増し、
海の上を怪しく浮遊する。
夏の終わりに姿を現す神秘の光を 人びとは
龍神が引き起こす怪火(かいか)と恐れ
“不知(しらぬ)火”と呼びました。
不知火海に浮かぶ、不思議な光は
蜃気楼現象の一種と言われていますが
かつてこの地をめぐった景行(けいこう)天皇は
沖合で方角を見失ったとき
遠く海の果てに現れた光に導かれ
いのちを救われたという逸話が残されています。

「 シキが立つ 」

船は小波をかき分け、真夜中に沖に出る。
漁師さんが30人ほど乗り合わせた船が数隻。
船尾には、竹を組んだ松明(たいまつ)が燃え盛り
行き交う漁火(いさりび)に魚を寄せて漁をする。
これは津奈木の地域に伝わる、伝統的な漁法です。
巧みに六丁艪(ろ)を漕ぎ、
おおきな巻き網を使って狙うのは、
不知火海で肥えたイワシの大群。
目印は、魚のうごきに反応した
夜光虫が放つ青色の強い光り。
この現象を津奈木の漁師さんは、
“シキが立つ”といいます。
夜の闇に包まれて、まばゆい光の海を漕ぐ。
かつての漁師さんだけが知る、特別な光景です。

「 星空 」

人びとが海の道を往来していた時代。
波の穏やかな内海が広がる津奈木は、
良質な港として古くから海の向こうの
文化に親しんできた 海の民のまちです。
それでも 人の手で船を漕ぎ
沖に出ることは命がけでした。
星の配置、風の向き、水温をつぶさに観察し
進むべき航路を確認したといいます。
大海原で見上げる 星空の地図。
星たちは宇宙に行けるようになった今より
ずっとそばに感じられる存在だったはずです。

光凪ひかりなぎ

不知火海に、黄昏時が訪れると
凪いだ海は 一瞬にして降り注ぐ
光のキャンバスへと色を変えます。
里海とともに暮らしを拓いてきた人びとの
おだやかな心を映し出すこの光景は
いつしか “光凪(ひかりなぎ)”と呼ばれるようになりました。
空と海が呼応する瞬間、世界は黄金色に染まる。
何十年、何百年とつづく光の海を眺め
このまちの人びとは なにを思ってきたのでしょう。
生きることの尊さに気付かされるひと時です。

競舟せりふね

カーン、カーンと不知火海に響き渡る鐘の音。
これは津奈木の夏の風物詩 “競舟”の合図です。
乗り合わせた漕ぎ手たちは、鐘打ちの鳴らす
音に合わせて一心不乱に櫂(かい)を漕ぎます。
江戸時代、漁から帰る網舟(あみぶね)同士の競り合いに
端を発する 津奈木の伝統行事です。
スピードを競う競技ですが 大切なことは
1番不得手な漕ぎ手に合わせること。
津奈木の人びとは 年に一度の競舟を通じて
次の1年をともに無事に過ごすための
地域のきずなを培っています。

たな

かつて津奈木のまちの沿岸部には
岸から沖に向かって張り出した“棚”と呼ばれる
竹で組まれた道が続いていました。
海の上を這う幅10メートルの棚の上で
おとなたちは漁網(ぎょもう)の手入れをし
魚や野菜を干しならべ 暮らしを紡ぐ。
学校帰りの子どもたちはここで過ごし
ときにはふかふかに乾いた漁網のベッドで
眠りにつくこともあったという。
棚は 日常に欠かせない生活の一部であり
思いのままに過ごせる自由な場所。
津奈木の のびやかな風土をはぐくむ礎です。